今日のミッションは「俳句の里巡り城南コースのうち重信川以北の残る5か所を回れ!」です。
ちなみに、「春分の日」「秋分の日」は「昼と夜が同じ日」となっているが、実は両方とも「昼の方が長い」。 これは、日没は太陽が全く見えなくなる瞬間、日の出は太陽が見える瞬間だから、実際には「太陽の直径分を太陽が移動する分だけ昼の方が長い」ということになる。
松山市高井町(西林寺) 正岡子規は、闘病生活においても、結構食に対して貪欲だったという。当時の彼の食の内容を再現したテレビ放送を見たことがあるが、私はそんなには食べられ な いぞ、と思ったものである。ていれぎは清流に自生する緑色の水草で、刺し身のツマになる。ミョウガのようなものか。このあたりは「ていれぎの里」で有名だ が、今場も松山市の取水施設が点在している。それに三津の鯛が添えられている。
松山市南高井町(杖の淵公園) 杖の淵公園は弘法大師の杖を突き刺した先から水が湧いたという伝説からその名がついた杖の淵。環境省選定の名水百選に選ばれた。
松山市北井門町(立石橋北詰) 20年ほど前にかずまると出かけた場所なのだが、その後2009年頃に整理した時には、この句碑が落とされていたらしい。再度確認します。
松山市居相町(伊予豆比古命神社) 「賽銭のひゞき」とは、まさに毎年旧暦正月8日「椿さん」のことだろう。例年、この3日は賑わい、交通機関も警察も総動員となる。このあたりで月極め駐 車場を借りた場合、椿さんの時期だけ駐車しないという契約を結んだら、月額1000円安くなる。そのくらい椿さんは特別なところなのだろう。
松山市市坪南2丁目(素鵞神社) 明治25年、正岡子規は7〜8月の間帰郷し、7月下旬に伊予郡永田村の友人武市庫太を訪ねている。これはそのときの句である。「荒れにけり」とは、当時石 手 川の下流域は度々氾濫していたことによる。加藤嘉明が松山城を造り、足立重信が岩堰から石手川への水路を造ったことは事実だが、築城の際には、城を守るた め、意図的に白と反対側の堤を切れやすくしていたというのは案外知られていない。今でも小野川の北石井付近ではよく氾濫している。シミュレートで出合付近 あたりが決壊したら、JR松山駅付近でも2メートル水没するという。 足立重信氏の功績をとやかく言うつもりはないが、そういう事実があるということでもある。 というわけで、今日は20キロ走ってきました。(プラス往路衣山駅まで1キロ) 1 5:48 0:05,48 144 0.95 2 5:29 0:11,18 141 1.00 3 5:40 0:16,58 135 0.95 4 5:43 0:22,42 138 1.02 5 5:47 0:28,30 0:28,30 137 0.93 6 5:51 0:34,21 131 0.92 7 5:39 0:40,00 137 0.95 8 5:44 0:45,44 136 0.94 9 5:31 0:51,16 136 0.99 10 5:32 0:56,49 0:28,19 133 1.00 11 5:30 1:02,19 143 0.98 12 5:39 1:07,59 140 0.99 13 5:30 1:13,29 144 0.97 14 5:39 1:19,08 134 0.98 15 5:40 1:24,48 0:27,59 142 0.98 16 5:28 1:30,17 160 1.03 17 5:27 1:35,44 147 0.98 18 5:27 1:41,11 148 1.00 19 5:18 1:46,29 150 1.02 20 5:10 1:51,39 0:26,51 153 1.03 ちなみに、翌日は道後編2碑と道後村めぐりで外していた瀬戸風峠の3箇所を巡ってきました。 (2026.03.22) |
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