今回のミッション「俳句の里巡り城南コースのうち7か所を回れ!」です。
最初の句碑は距離は20年前に最後の句碑だったのが、場所がわからず、リタイヤ直前に見つけたところで、今でも「大尺寺トラップ」と呼んでおります。 今回は、迷うことはなかったのですが、梅本駅から40メートル位上ったことで、これが「今回のトラップ」だったのかもしれません。
7番:松三代北向地蔵秋涼し 黙禅 松山市北梅本町(大尺寺跡) 大尺寺の近くにあった地蔵は右の耳がないことから片耳地蔵とよばれ、耳の病気にかかったとき祈願すると病気が治ったと言う。松山赤十字病院名誉院長酒井黙禅だからこその句か。
茸狩や浅き山々女連れ(北側) 子規 松山市平井町(伊予鉄平井駅前) 駅前から旧道にでたところに池があるが、東側へ 150メートルほどに「兜松」(通称さがり松)があって、おへんろさんや金刀比羅参りの旅人はこの松の下で一休みしていたという。こちらの旧道の方が歴史 があるらしい。 正岡子規は明治24年8月19日から21日まで、友人と2人で温泉郡川内町の唐岬、白猪の滝を見物に行って、そのときの情景を詠んだものと言う。それにしても、これらの滝まで2泊3日というのは、のんびりした時代だと思う。
5番:火や鉦や遠里小野の虫送 子規 松山市平井町(千福寺) 遠里小野は大阪市墨江町に今もあるらしい。双方の「小野」という地名からこの句ができたとされている。
松山市鷹子町(浄土寺) 浄土寺は、四国八十八箇所49番札所で真言宗の寺である。空也は阿弥陀聖ともいわれ、3年間この寺にとどまったという。
松山市北久米町(松山城南高等学校正門前=現松山学院高等学校)
松山市小坂2丁目(多聞院) 野 村朱燐洞は、本名野村守隣(もりちか)。この多聞院は野村家の菩提寺という。種田山頭火も野村朱燐洞の墓を訪ねて、松山の地にやってきたと言うが、野村朱 燐洞の句もまた、自由詩である。種田山頭火は俳句の中で、自由詩に惹かれ、そして松山の町にやってきて、最期の時を過ごした。彼にとっては満足な最期だっ たのだろうか。 なお、多聞院は松山市道バイパスの関係で移転したわけだが、句碑も設置されておりました。 1番:新場処(しんばしょ)や紙つきやめばなく水鶏(くいな) (正岡)子規 そゝろ来て橋あちこちと夏の月 (五百木)飄亭 松山市日之出町(石手川公園) この句碑は、松山市内の城下コースの金刀比羅神社の対面で確認したため、今回は行きませんでした。
松山市拓川町(相向寺) 但し、実際の句は、真宗の伽藍いかめし稲の花(正岡子規) 2005年6月5日行軍A(俳句の里・城南(14)、旧城南(17)) 明治28年10月2日、愚陀仏庵で静養していた正岡子規が、石手川を散歩したときの句だという。いわゆる、この時期の三回目の散策である。繰り返すようだ が、1度目が湯渡橋方面、2回目が御幸寺山麓、3回目がこのあたり、4回目が道後温泉、5回目が今出方面である。また、拓川といえば、子規の叔父加藤拓川 が浮かぶが、拓川町とは彼の偉業を称えて命名したものと言う。彼の墓が相向寺にある。 というわけで、今日も走ってきました。 伊予鉄衣山駅までのジョグ1.0キロを加えて、計20キロ。 北風が強く、結構疲れました。 ひょっとして、今日は今年1月10日に粟井から走って、ずっと向かい風で腸腰筋を痛めたことを考えると、今日同じコースを走った方が分かったのでは?と思ってしまいました。 まあ、いいけど。 1 5:50 0:05,50 126 0.96 2 5:56 0:11,46 133 0.92 3 5:25 0:17,12 136 1.00 4 5:42 0:22,54 127 0.95 5 5:23 0:28,17 0:28,17 130 1.02 6 5:30 0:33,47 134 1.03 7 5:34 0:39,21 135 0.96 8 5:24 0:44,46 138 1.03 9 5:34 0:50,21 135 0.99 10 5:31 0:55,53 0:27,36 143 0.99 11 5:36 1:01,29 139 0.96 12 5:29 1:06,59 144 1.01 13 5:31 1:12,31 145 0.99 14 5:37 1:18,08 144 1.00 15 5:14 1:23,22 0:27,30 148 1.05 16 5:15 1:28,38 152 1.04 17 5:37 1:34,16 145 0.98 18 5:34 1:39,51 147 1.01 19 5:29 1:45,20 148 1.02 俳句の里巡り城南コースの残りは、来週金曜日(祝日)にでも出かけよかと思います。 (2026.03.15) |
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