ランニ ング編

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 【8-2】  第45神戸マラソン大惨敗  その1   その2

初めての神戸マラソン。私としては、愛媛マラソンへ向けて、一番走り込みをしなければならない時期にわざわざ神戸に来たわけだ。それは、通常の状態であっても、無理をせずに走ること。つまり、次週3連休へ疲れを残さない走りをするということであった。

が、それどころか、神戸マラソンで体調を崩すという事態を引き起こし始めたのだ。

  

ペースが上がらないから、心肺状態はまだ心配ない。だが、左股関節があやしい痛みを発する。左大腿部は先ほどからの刺激の入れすぎで痛みを感じ始める。このまま走ったのでは、とてもじゃないが、次週3連休にまともな走りができない。

ちょうど、20キロを過ぎた頃、救護室が目に留まった。ここでスプレーでもかけさせてもらえば、少しはマシになるのでは。

だが、救護室にはそのようなものはなく、氷で患部を冷やし、ストレッチの方法を教えてもらっただけであった。

コースに戻ると、ちょうど中間点。1時間57分39秒。これはこの状態でサブ4ぎりぎりではないか?昨年の大阪よりもかなり遅いということに気づく。

そしてそれが、自分への甘えの始まりでもあった。

氷で冷やしたこともあり、その後は足が軽くなったような気がした。25キロ2時間17分49秒(20-25を29分31秒)とペースは落ちているが、救護室にした時間を考えると、ペースそのものは落ちていない。

だが、このあたりから、再び左股関節と左大腿部の痛みが始まる。目を疑うほどペースが落ちる。完璧にキロ5分30秒かかっているのだ。すなわち、この走りはサブ4のペースである。

思わず、30キロ手前の救護室に飛び込む。そんなこんなで30キロ2時間55分12秒(25-30を37分23秒)

ペースはさらに落ち込み、30キロを超えるとキロ6分を超えるようになる。キロ6分といえば、そのまま走れば4時間13分となる。しかも35キロから先の上りが立ちはだかる。32キロ3時間06分38秒だから、この段階でのサブ4は十分に可能だ。

だが、34キロで右ふくらはぎがつった。ちょうど前にあった救護室に飛び込む。担当の方に「目標とするタイムはありますか」と聞かれ「サブ4は無理となりましのたので、ここに30分いても良いです」と言う。完璧にマラソン放棄した瞬間であった。

この救護室には20分程度いたらしい。35キロ3時間44分47秒(30-35を49分35秒)で、あとはどうしようか?状態であった。

そこまで体調不良の私が恐れた35キロからの上り坂であったが、結果としては、何ということはなかった。ペースは上げられなかったが、平田の坂の比ではなく、1週間後に走った皇居ランの半蔵門までの坂とほとんど変わらない。

結果論だが、救護室に行かず、途中ストレッチだけをしたらどのような結果となっていたのだろう。たぶん20分程度は早くゴールできたと思う。だが、そのダメージが次回愛媛マラソンに影響していたのだと思うことにしよう。

事実、40キロ4時間14分18秒(35-40を29分31秒)かかっていたということは、結局ペースが上げられなかったということ だ。これを5キロ26分台で走れたのであれば後悔するのもよかろう。だが、事実として「単に走っていただけ」だったわけであり、私の判断は正しかったと思 うことにしよう。

というわけで、ゴールは自己最低の4時間26分31秒に終わってしまった。だが、この屈辱は次回愛媛マラソンへの道しるべと思うことにしたいと思う。(2015.11.29)

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