松山〜宇和島間・駅からトレッキング

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第1回 伊予石城〜三瓶和泉〜双岩13・9キロ

   

(クリックすると拡大します。なお、この航空写真は国土交通省のサイト「国土情報ウェブマッピングシステム(試作版)のご利用に当たっての注意事項」、及び国土地理院2万5千分の1地図のウェブへの記載方法(登録を要しない範囲)に基づき記載しております。)

4月13日(金)に100キロ貫歩単独編が終了した。今後は、同行編を継続し、単独編は長浜廻りの後、松山〜宇和島間の駅から山歩きをする「駅からトレッキング(駅トレ)」を実施することにした。

が、 どうしても気になることがある。100キロ貫歩同行編のうち、下宇和〜法華津峠間が単独編と別コースをとる予定である。このコースは、国土地理院2万5千 分の1の地図では実線、つまり1・5メートル以上の道であることを示しており、「愛媛の山」では、法華津峠から下宇和へ抜ける道を別ルートとして紹介して いる。また、下宇和地区にある公民館に尋ねたところ、幼稚園児が遠足で登っているという情報も聞いた。が、最近になって確認したところ、この実線が山中の 途中で破線になっていることに気づいた。

  

左:卯之町駅1001Dと723D、右:下宇和から法華津峠を登る、通行不能

こ れはどうしても確認しておきたい。そういうこともあって、駅トレ第1回目の箇所と出撃日は必然的に決まった。下宇和から法華津峠へ出て、単独編6回目に歩 いた宇和外輪山の山頂林道を歩き、伊予石城まで歩くことにして、4月15日(日)、週末2度目、そして、明日から一週間が始まるという日に強行出撃したの であった。

松山を1001Dで出発して、卯之町で723Dに乗り換え、9時14分下宇和到着。駅の周辺は、通勤途中で 見るとおり、桜が最後の花を咲かせている。まずは快調に下宇和駅を出発した。大きくカーブしたところから実線の道に入って、三叉路を元来た方向へと南下す るところまでは予定どおり。西方向へとなだらかに弧を描いた後、南方向へと折れるあたりで、西方向へと向う地図にない農道のような道が分岐する。当然私は 南へと歩く。だが、実線の切れる直前、ちょうど標高300メートルのあたりで、地図にはない道が急に北方向へと向きを変える。そして、100メートルも行 かないところで、倒木で道が寸断される。

毎年幼稚園児が通っているのであれば、これはおかしい。再び、道のあるであろ う場所まで戻るが、登山道は見当たらない。地図が正確ならば、登山道は尾根沿いにあるはずだが、尾根沿いには道らしきものは見えるものの、スムーズな取り 付きになっていない。幼稚園児は多分違う道で登っているのだということに、ここで気づく。

かずまると同行することを考えると、ここで強行するわけにはいかない。しかたなく、元来た道を戻って、10時10分頃に下宇和へとたどり着く。

  

左:下宇和駅4634D、右:@右へ行けば単独編5回目の笠置峠へ、今回は左へ

挫 折感の中で、それでも、今日ここにきたことは正しかったんだ、と自分に言い聞かせながら、駅の待合室に座る。このまま帰ろうか、明日は月曜日だ、と思う反 面、これで一日が終わるのは、あまりにもったいない、どこか別のルートを探そうと思うが、なにしろ、八幡浜〜宇和島間の普通列車は予土線宇和島〜近永間よ りも本数が少ない。しかも、今日は、他の地域の地図はもちろんのこと、ポケット版時刻表さえも忘れてしまっている。

が、 駅の時刻表を見ると、10時30分発八幡浜行きの普通列車がある。この列車は単独編5回目の上宇和〜伊予石城間で見かけた。多分伊予石城には10時45分 頃には着くだろう。駅トレの中には、伊予石城から宇和外輪山を越えて、西予市三瓶和泉を経由して双岩へと下るぱっとしないコースがある。これならば、可能 かもしれない。が、地図もなければ時刻表もない。後は記憶と推測だけであるが、幸いこのコースは、3日前に距離を計算していたから、ある程度はコースと距 離が14キロほどであることが判っている。そこから双岩14時42分発の4736Dに乗れば、16時11分には松山へ帰れる。当初予定よりは1時間遅くな るが、仕方あるまい。

というわけで、4634Dに乗り込み、10時42分に伊予石城に到着。ここから西側に見える宇和 外輪山を越える。この宇和外輪山とは私が勝手につけた名前で、宇和盆地が肱川の上流、標高約200メートルほどのところにあるほぼ円形の大きな盆地である ことから、この西側の八幡浜、三瓶、吉田方面は、まるでカルデラのごとく急斜面で下っていくことになる。だから、宇和外輪山と名づけた。本当は、伊予石城 からは線路に沿わず、まっすぐ西進して登る道があるはずである。道も実線なのだが、さっきのことがあるうえに、当然ながら地図を持ってきていない。単独編 5回目の笠置峠手前に三瓶方面へと分岐する林道があることは知っているから、ここは自分の目で信じられる道を歩きたいと、少々遠回りではあるが、予讃線笠 置トンネル南口から登ることにした。

  

左:宇和外輪山の林道は道幅が広い、右:A三瓶和泉から宇和海方面を望む

単 独編5回目のとおりに山道を登っていって、以前興味のあった、三瓶方面への林道の分岐点から、今度は笠置峠方面ではなく、左折して三瓶方面へと向う。道幅 は3メートルはあろうかという広い道で、これならば最悪でもどこかへ降りられるだろう。ただ、道脇には、いたるところに「車両の通行には地元の許可が必要 で、通行料を徴収する場合がある」という標識が立てられている。多分地元負担で作られた道だからだろうが、まあ徒歩に関しては問題あるまい。

林 道は、地図に書かれているとおりに、延々と山の斜面をカーブを繰り返し、アップダウンを繰り返していく。時折、分岐していく細い道があるが、地図がない以 上、深追いは禁物である。最悪の場合は、当初のルートである、伊予石城の西側にある今西集落へ降りる道があるだろうと、ただひたすら林道を歩く。そして、 山道へ入って45分ほど経った11時45分頃、ついに三瓶方面へとくだる道を見つけた。今までの林道よりは少々細いものの、しっかりとした道である。この 道を下れば、和泉集落へ降りられそうだ。

案の定、しばらく下ると、集落が見えてくる。和泉集落だと確信してはいるが、 間違ったとしても、これで一安心だ。集落に入る直前に山へ登っていく細い道がある。この道は何処ー繋がっているのだろうかと思ったが、帰って地図で調べて みれば、これがさきほどの宇和外輪山で発見した細い道のようだ。それにしても、和泉集落は旧三瓶町ではあるが、集落の標高が約250メートル、このAの位 置から見た遥か下の道路で、まだ標高約100メートル、しかも集落の中に古いトンネルがある。

  

左:B三瓶和泉にあるトンネル、右:C笠置トンネル北側

時 刻はちょうど正午のサイレンがなったところである。ここまでくれば、自分の正確な位置は判らないものの、双岩駅まで2時以上はかからないと思う。なんと か、13時39分発の729Dに乗れないかと考え始めた。この列車に乗った場合、時刻表があれば一目瞭然なのだが、185系729Dの双岩発時刻は13時 39分と記憶がある。1064Dは宇和島発時刻の一覧表を持ち歩いており、卯之町発時刻は推測がつく。所要時間18分とすれば、卯之町14時06分、 729Dはその後4736Dと14時10頃に立間で退避するから、長時間停車はない。少なくとも、卯之町を14時01分には出発しなければならない。とい うことは、729Dは1064Dと下宇和退避に違いあるまい。こんなことを推測しながら歩いているうちに、なんとか729Dに乗車したくなった。これから は上り坂が延々と続くことはあるまいと思う。早足で先を急ぐ。

が、急に時間を気にし始めたとたんに、道のりが長く感じ られる。考えてみれば、13時39分の間に合わせるとなると、総延長約14キロを2時間50分で歩くことになる。山道を考えれば、楽な行程ではない。それ でも、12時35分頃には、無事県道へ出る。ここが上和泉バス停で、谷集落への入口である。この谷集落は三瓶側の斜面でありながら、八幡浜市に属してい る。かつて、八幡浜と三瓶の間にある横平トンネルが開通するまでは、今私が歩いている道が主要道だったのである。ここから、釜倉集落までの間に上り坂が あって、冷や汗をかいたが、上り坂はすぐに終わり、見慣れた釜倉集落の線路が目の前に現れる。

ここからは、県道を歩かず、線路の上にある道を、一路双岩駅へと下っていく。県道が急勾配を避けて迂回しているからだが、線路を順光で撮影しようというもくろみは崩れ、列車は来ないわ、1059Dと22Dが通過するときには線路は見えないわで、ハズレであった。

  

左:双岩駅729D、右:卯之町駅1064D

た だ、この2列車が通過したときには、単独編では谷方面と宇和方面の県道分岐点で休んでいたときであり、あとは時間計算ができる。もう間に合うことは確実で あることだけが判った。ただ、この道から、唯一線路へ下る道の先には、同行編でかずまると通った踏切へと続くはずなのだが、そこへ行くには家の敷地内を通 らなければならない。ここの踏切は私有地用なのだろうか?ちょうど2列車が通過するときだっただけに、踏切へ行けず、右往左往しているうちに通過して行っ ただけに残念であった。

その後は、道なりに下っていったところ、有無を言わさず双岩小学校へ入ってしまったり、その横 の斜面を下ったら、人家の敷地内に出たりしながら、ともあれ、13時25分には双岩駅へとたどり着いたのであった。今回、時刻表を忘れたため、推測での行 軍であったが、実際には729Dの双岩発は13時39分、卯之町13時56分着、1064Dは下宇和で729Dと退避し、卯之町発が14時06分。これ で、当初の予定どおり、15時08分には松山へ帰ってこれたのであった。(2007.05.09、写真は全て敢行日撮影)

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